2025.04.20
言語聴覚士Kから見た天童のご紹介
ミロク脳神経リハビリクリニックは山形県の中程に位置する天童市にあります。
天童市といえば、将棋の駒の生産量が日本一。その90%を作っています。
天童で将棋の駒が一大産業にまで発展した発端は江戸時代にまで遡ります。
1831年、当時高畠藩にいた織田家が天童館に入りました。その頃財政難だった藩を救う政策として将棋の駒作りを奨励したことが始まりと言われています。
藩が廃された明治時代以降も産業として残り、昭和の時代に全国に将棋の町として広まったと言われています。
将棋に関するイベントとしては4月に開催される人間将棋が有名です。
クリニックの近くに位置する舞鶴山にてプロ棋士の方々をお招きして行われます。人間を駒に見立てて行われる将棋は大変な見応えがあります。
その日は芸能人もお呼びして様々なイベントが行われますが、今年は織田信長サミットも行われます。
山形で織田信長?
織田信長公が活躍した時代は1500年代後半で、現在の中部地方~近畿地方が主な勢力圏でしたので、東北の山形県天童市と何の関わりが?疑問に思うことでしょう。
先程将棋の駒を産業として始めたきっかけとして織田家が天童に入った、と言う話をしましたが、実はその織田家がかの有名な織田信長公の直系の子孫なのです。
その縁で天童市には織田信長公を主神として祀る建勲(たけいさお)神社があります。場所は人間将棋が行われる舞鶴山の中腹になります。こんな身近に織田信長公をお祀りする神社があったとは思いもしませんでした。
織田信長公が日本の歴史に与えた影響は非常に大きく、教科書に載っている天下布武、室町幕府の終焉、楽市・楽座、実力主義による人材登用、南蛮貿易など多岐に渡ります。慣例に囚われない新しいものを生み出すことはとても大変なことですが、織田信長公は新しい事を次々と成し、革新とも呼べる変化を当時の日本にもたらした事は間違いありません。本能寺の変がなければ日本がどうなっていたのかは個人的に非常に気になる部分です。
話が逸れましたが、その織田信長公に関係する各地の自治体が集まって2年に一度持ち回りで行われているのが織田信長サミット。今年は天童市が担当で、人間将棋が行われる天童桜まつりに合わせて開催されるようです。天童市で行われるのはなんと23年ぶりとの事。参加する地域のPRなども行われるそうなので歴史に興味のある方は足を運んでみてください。
新しい時代の立役者となった織田信長公。
偉大な先人に学びながら、私たちも脳卒中リハビリの新しい形として地域に貢献できるよう、日々邁進していきたいと考えています。